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電車に揺られながら、田舎の風景を眺めていた。
昔はこうやって電車に揺られて景色を眺めているだけで、
それなりに楽しかったのだが、今は楽しいというより
「懐かしい」というノスタルジックな気分に浸ってしまう。
食べ物も同じ様に、子供の頃食べた、
昔食べたっきりのものを「ああ、こんな味だった」と感じながら、
やはりノスタルジーに浸ってしまう。
そして思う事—
対象がものやことでも、「良い塩梅」だと思うことはないのだろうと感じた。電車に揺られながら、田舎の風景を眺めていた。
昔はこうやって電車に揺られて景色を眺めているだけで、 それなりに楽しかったのだが、今は楽しいというより 「懐かしい」というノスタルジックな気分に浸ってしまう。 食べ物も同じ様に、子供の頃食べた、 昔食べたっきりのものを「ああ、こんな味だった」と感じながら、 やはりノスタルジーに浸ってしまう。
そして思う事—
対象がものやことでも、「良い塩梅」だと思うことはないのだろうと感じた。
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もう騒がれなくなった、というより、
スタンダード化してしまった「昭和レトロ」という
その他大勢の懐古主義も、常にはっきりとした形で残っていては
なんだかありがた味に欠けてしまう。
現代が作った「昔」を、急に見せられたとしても、
臨場感、哀愁、懐かしさというものは、
子供の頃飲んだ、水を入れすぎたカルピスのように
少し味が薄まっているように感じてしまう。
基本的に新聞沙汰な大きな事件や、身の回りの出来事以外は、
思い出というのはあくまで個人的なもので、
自身の心の奥のナイーブな存在だと思っている。
「昭和レトロ」という標準化自体が本末転倒な気もするのと同時に、
揚げパンやソフト麺を食べても、懐かしいと感じるだけで
美味しいとは別次元のように、
「ああ、こんな味だった」と思う程度に、
ノスタルジーはあるべきなのではないだろうか。
もう騒がれなくなった、というより、 スタンダード化してしまった「昭和レトロ」という その他大勢の懐古主義も、常にはっきりとした形で残っていては なんだかありがた味に欠けてしまう。 現代が作った「昔」を、急に見せられたとしても、 臨場感、哀愁、懐かしさというものは、 子供の頃飲んだ、水を入れすぎたカルピスのように 少し味が薄まっているように感じてしまう。
基本的に新聞沙汰な大きな事件や、身の回りの出来事以外は、 思い出というのはあくまで個人的なもので、 自身の心の奥のナイーブな存在だと思っている。 「昭和レトロ」という標準化自体が本末転倒な気もするのと同時に、 揚げパンやソフト麺を食べても、懐かしいと感じるだけで 美味しいとは別次元のように、 「ああ、こんな味だった」と思う程度に、 ノスタルジーはあるべきなのではないだろうか。
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形を変えず、ありのままの記憶を残している
田舎に対するキャッチコピーを思い出しながら
「どうか都会になりませんように」、と
あったままの景色や風情を残して欲しいと願う。
どこか無粋であるのかもしれないが
勝手ながら、それが、過去として美味しく成熟していく
丁度良い塩梅なのではないかと感じる。
Writer : Kadpon形を変えず、ありのままの記憶を残している 田舎に対するキャッチコピーを思い出しながら 「どうか都会になりませんように」、と あったままの景色や風情を残して欲しいと願う。
どこか無粋であるのかもしれないが 勝手ながら、それが、過去として美味しく成熟していく 丁度良い塩梅なのではないかと感じる。
Writer : Kadpon